みゆるのぶろぐ。

どうも!みゆるです。twitter:myunso_mochi2

わたしが性について向き合い続ける原点。

本日、セックスワーカーの支援団体がどのように資金調達をし、活動を続けているのか、AustraliaのScarlet Allianceの活動家の方を招いた講演会に参加した。

Sex Work is Work.

絶えずそれをセックスワーカーが主張し続けなくてはならない

セックスワークは実際、ものすごく重要な仕事である。

それがパラドックスであると。

 

HIV啓発・予防事業には事業費がつくことが多く(ただし簡単ではないが)

それが活動のベース資金になっていることは間違いない。

ただ、資金を提供してもらえないこともあり、活動の予算は年度毎に変動する。

 

その中でも、社会的企業やボランティア団体等、労働の問題として連帯し、協働することはあるそうだ。

 

などなど。

支援団体が活動する上でどのように資金調達をし、活動を継続させているのかについてや、

支援団体が存続することの意義など

幅広く学ぶことができた。

 

私がセックスワークについて学ぶのは

自身が性について学び続けたいと考えるからこそだ。

 

さらに、自身には性被害に遭った経験がある。

性被害に遭った時、着ていた服でランウェイなどがヨーロッパで行われているとか。

 

youtu.be

普通の、地味な服着てるんですよ。

別に。

私が性被害に遭った時間帯は、朝の通学時間、昼間、夕方、早朝。

夜、暗い夜道で、なんてのは一回もないんですよ。

その時来てたのは、半分が制服、うち1つはホワイトシャツ、もう一つはTシャツ。

覚えてるんですよね。自分がどんな格好をしてたかも。

 

なのに、

 

“そんな格好をしていたから悪い。”

言説はびこってます。

扇情的な格好などしていなかったのに

「なぜ私が??」

 

一方、強く力を込めて慰め・励ましてくれる人達は

“あなたは絶対に悪くない、絶対に悪いのは男(加害者)の方だ”

と言ってくれます。

 

分かってます、私も。

だけど、

 

「どうして自分が性被害に遭ったのか」

という事実に、どうしても向き合いたくなるというか

向き合わざるを得ないんですね。

 

被害に遭った当事者は。

そして、あれこれ考えます。

 

自分があそこにいたから悪かったのかな?

服装がもう少し体型を隠していればよかったのかな?

相手もたまたまやってしまったのかな・・・?

 

 

一通りのことは考えます。

 

なぜそれをするのでしょう。

多分、自分の尊厳が分からなくなるからだと。

そうやって頭の中でぐるぐる考え巡らしてる間にも

 

自身の自尊感情は乱高下を繰り返し、揺れています。

生活にやっぱ支障出ますよ。

 

絶対加害者が悪い。

って慰められても、

 

だからもうこのことは忘れよう?

 

みたいな。

そんな悪気あって言ってないのは

分かるんだけどね。

 

本日の講義で、私の出身大の学生さんが来ていて

何やらストリートレイプについて研究しているとのこと。

 

「見知らぬ人からの強姦」

 

身体的な性的被害。

 

その学生さんとの対話で自分の中でうずまいていた気持ちが

表面化した。

 

やはり、自分が性に向き合い続ける原点は私の性被害経験。

PTSDでありPTSDにもなりえない

 

自身の中でやはり被害の意味づけを変容させていく

という作業を

人生を通してやってきたのかな、と。

 

自分は「そんな格好してたからや。」

って言われることと

 

セックスに関する仕事をしている人が

「そういう仕事してるんやから仕方ない。」

 

と言われることに

似たものを感じていた。

 

着たいものを着ていたって

セックスに近しい仕事をしていたって

 

性的に侵害されていい権利はない。

そこをラディカルに追及することに

何らかの意義を見出している途中なのだと思う。

 

性の表現について探求すること。

探求して広がってきたのは、

自身が性について知りたいと思っていたこと

性について知る・学ぶ・向き合う機会を得たこと。

 

そして、自分の身体が自分自身のものであるということに気付き始め

自分の身体は自分でコントロールしてもいいということを

実感し始める。

 

過去の自分が、性について無知であり

ネガティブな印象を強く抱いていたから

自分が性被害に遭ったこと自体を強くネガティブに捉えていたのか?

 

決して傷が治ったわけではない。

だけども、自分の中で意味づけを変えて、

 

そうやって乗り越えていくしかない。

(わけではないんだろうけど。)

 

そんなことに気づかされた出会いでした。