みゆるのぶろぐ。

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近況

職場とは労働組合通じて交渉中

現場の管理職はさておき

上層部はこの状況を深刻に受け止めて

委員会を設置しパワハラ防止対策案提出に向けて

日々対応を続けているとのこと。

2人休職→退職出してますからね。

真摯に受け止めてください。はい。


ただその一方で

働く感覚を忘れている自分もいる。。。



まあ、そんなことは当たり前か。


SEPの研修に参加して

個人SEPを受けようと

思うようになった次第です。


藤木さんにも

受けた方がいいかもね。

って


確か言うてもらった気がする。

また、研修の中で


身体的暴力だけの方が

案外さっと

認知を修正して回復される人が多く

精神的虐待が実はしぶとい

とはっきり言うてもらったのが

本当によかった。


そんなこんなで引越し準備中でございます。

これから何やりたいんかなあ~って熟考した経過。

うん。

すっげえソーシャルワーカーとして働ける職場を一つ見学して

感銘を受けた。

 

ただしそれは、病院で、

ワーカーさんたちの出退勤時間を聞くと、

まあまあえげつなかった。

 

ぶっちゃけ、病院は嫌い。

何でかって、診療報酬改定2年に1回あるし、

医者っていう権威と常に隣り合わせで

気を遣うし、しんどい。

ってか多職種連携の職場やから

それは当たり前やったりするんやけどね。

 

ほんで

自分は、自分みたいな人の支援に

 

興味があるというのがぶっちゃけたところ。

 

 

あと、性について関心が高い。

性に関する諸問題に携わることは

 

なかなかみんなができることじゃないと思ってるから

そういうところに触ってみたいという気持ちがある。

 

それが正直なところ。

 

つまり、MSWは経験。

ソーシャルワーカーとしての技量を上げること

 

社会福祉士としての知識と経験を積むこと。

 

分野は違えどオールラウンダーに

スキルを積むことができるから

 

MSWへの転職を考えてた。

 

いずれは病院というハコから出て

地域に出て支援者になりたい。

 

どんな支援かはわからんけど

自分みたいな人の支援につながるような

支援者でいたい。

 

そのために後4年くらい、5年くらい、6年くらい、7年くらい

勤めて経験を積むことは全然悪くないと思ってる。

 

自分に課題を課しただけ

自分に返ってくるものがあるとも思える。

 

そういう素晴らしい環境が目の前に用意されているにも関わらず

躊躇する私。

 

 

そう、なんというか。

体力と精神力がかなり求められる職場やな

って感じたんです。

 

履歴書と職務経歴書を出したら

すぐにでも雇ってもらえそうなとこまで来てるし。

 

ただ、

「覚悟はあるか?」

 

って聞かれた気がした。

 

相方さんからは

自分の持っているソーシャルワーカー能力で

自分のできるパフォーマンスをしたらいいんちゃう?

 

仕事とはしんどいものである

という思い込みが強いかも

 

職場の人間関係がいいのは間違いないから

仕事自体が苦でなければ

残業も案外しんどくなかったりするかもしれんで。

 

 

と言われました。

それもそうだと思います。

 

お金が心配なく入ってくるという安定に

心の安寧は変えられませんしね。

 

また、10年後、20年後

どうなっていたいか?

 

と言われました。

 

自分としては、病院というハコで経験を積んで

ハコから出たい。

 

地域で生活に関わる仕事をしていたい

と考えています。

 

もしかしたら、組織への愛が強まって

組織の管理職を目指しているかもしれません。

 

体力で乗り切っていた20代から、

スキルを伴って行うソーシャルワーク

 

質が高まっているかもしれません。

 

どうだろうかねぇ。

 

自分は病院でソーシャルワーカーをしてるんだけど

と名乗る自分。

 

今は、「してたんだけど、」

 

なんだよなあ。

 

少しブランクがあることは、

どうにでもなると思うが

 

興味あることしか勉強しない癖

は治ることないんやろうなあああああああ

 

だって、

高校以降ずっとそうやもん。

 

次も自分から病院に勤めるにあたっては

・2年に1度の診療報酬改定についていく

・医療ソーシャルワーカー業務指針を叩き込んで日々立ち返って仕事する

・多職種連携における記録業務の追いつき

 

は欠かせないことになってくる。

 

今までできなかったことばっかり。

 

でも、発想を転換すると

私が受験勉強(大学合格のためだけにしてた仕方ない手段的勉強)を乗り切れたのは

卒業してもなお学校に来て共に教室で受験対策に臨んだ

仲間がいたから。

 

同じ志を持った同級生がいたからだ。

暗くなるまで自習室で共に勉強したり

 

居眠りしたりした。

 

今度の職場には、

大体同年齢のワーカー、

年の近い先輩、

複数の同職種仲間がいる。

 

人がいい、相談できる、

自分が困っていることを共感してもらえる

仲間がいる。

 

これは、もう一度

進学校受験勉強(うーん、退職までに支援者スキルを身に着けることを目指して)

だと思って思い切って入職してしまえば

案外いけるのか???

片手間でやるようなことじゃないのはわかっている

だけど、自分なりに職業のための手段的勉強も業務と捉えて

 

やってみることはできないか??

そうだなぁ。

電話番がないとのことなので

本当に洗練された職場。

 

だけどその分、極めて高い専門性を求められる。

日々、その技術を磨き、鍛錬し、向上させていくような風潮が漂っていよう。

 

目標、数か月、数年ごとに自分をモニタリングして

自分のスキルが身に着いたら

退職!

 

それで行こうかなあ。

これからすること。

もう、働くのやだ。

 

とは言わない。

だけど、自分のペースを無理してまで

自分の好きなことを我慢してまで

 

人は身を削って働く必要があるのか?

北欧に移住しなければならないといつのころからか思っていた。

英語の勉強しようか。

うーん。

 

6/13(水)

素晴らしい職場を見学し、

課長さんと面談した。

本当に素晴らしい職場だった。

夢のように。

たくさんのワーカーが切磋琢磨できる

すぐ相談し合える環境。

ソーシャルワーカーとしての技量を高めたい

ならもってこいだ。

だけど、週6勤務が月2回。

ハードすぎる。

 

毎日定時に帰れるならまだしも。

残業や早朝出勤、あるらしい。

 

自主性に任せられる‥とは言うものの。

自宅じゃ勉強しないしなあ。

 

うーん。

早く帰って

勉強は家で15分。

 

という習慣をつけるか。。。

 

これからすること。

読書をする。

できるだけ多くの価値観に触れる。

自分の好きなことを我慢しない。

(韓国行きたいけど料理しか目的なかったからそれやったら大阪の都会に出て韓国料理屋さん行った方が安い。飛行機代がいくら安くても。)

よく寝る。

食べる。

何がしたいのか考えよう。

やってみてわかったことは、私週6で働くのは無理。

 

無理なことまたやろうとしてるからちょっと自分で引いてます。

 

あぁあ。

わたしが性について向き合い続ける原点。

本日、セックスワーカーの支援団体がどのように資金調達をし、活動を続けているのか、AustraliaのScarlet Allianceの活動家の方を招いた講演会に参加した。

Sex Work is Work.

絶えずそれをセックスワーカーが主張し続けなくてはならない

セックスワークは実際、ものすごく重要な仕事である。

それがパラドックスであると。

 

HIV啓発・予防事業には事業費がつくことが多く(ただし簡単ではないが)

それが活動のベース資金になっていることは間違いない。

ただ、資金を提供してもらえないこともあり、活動の予算は年度毎に変動する。

 

その中でも、社会的企業やボランティア団体等、労働の問題として連帯し、協働することはあるそうだ。

 

などなど。

支援団体が活動する上でどのように資金調達をし、活動を継続させているのかについてや、

支援団体が存続することの意義など

幅広く学ぶことができた。

 

私がセックスワークについて学ぶのは

自身が性について学び続けたいと考えるからこそだ。

 

さらに、自身には性被害に遭った経験がある。

性被害に遭った時、着ていた服でランウェイなどがヨーロッパで行われているとか。

 

youtu.be

普通の、地味な服着てるんですよ。

別に。

私が性被害に遭った時間帯は、朝の通学時間、昼間、夕方、早朝。

夜、暗い夜道で、なんてのは一回もないんですよ。

その時来てたのは、半分が制服、うち1つはホワイトシャツ、もう一つはTシャツ。

覚えてるんですよね。自分がどんな格好をしてたかも。

 

なのに、

 

“そんな格好をしていたから悪い。”

言説はびこってます。

扇情的な格好などしていなかったのに

「なぜ私が??」

 

一方、強く力を込めて慰め・励ましてくれる人達は

“あなたは絶対に悪くない、絶対に悪いのは男(加害者)の方だ”

と言ってくれます。

 

分かってます、私も。

だけど、

 

「どうして自分が性被害に遭ったのか」

という事実に、どうしても向き合いたくなるというか

向き合わざるを得ないんですね。

 

被害に遭った当事者は。

そして、あれこれ考えます。

 

自分があそこにいたから悪かったのかな?

服装がもう少し体型を隠していればよかったのかな?

相手もたまたまやってしまったのかな・・・?

 

 

一通りのことは考えます。

 

なぜそれをするのでしょう。

多分、自分の尊厳が分からなくなるからだと。

そうやって頭の中でぐるぐる考え巡らしてる間にも

 

自身の自尊感情は乱高下を繰り返し、揺れています。

生活にやっぱ支障出ますよ。

 

絶対加害者が悪い。

って慰められても、

 

だからもうこのことは忘れよう?

 

みたいな。

そんな悪気あって言ってないのは

分かるんだけどね。

 

本日の講義で、私の出身大の学生さんが来ていて

何やらストリートレイプについて研究しているとのこと。

 

「見知らぬ人からの強姦」

 

身体的な性的被害。

 

その学生さんとの対話で自分の中でうずまいていた気持ちが

表面化した。

 

やはり、自分が性に向き合い続ける原点は私の性被害経験。

PTSDでありPTSDにもなりえない

 

自身の中でやはり被害の意味づけを変容させていく

という作業を

人生を通してやってきたのかな、と。

 

自分は「そんな格好してたからや。」

って言われることと

 

セックスに関する仕事をしている人が

「そういう仕事してるんやから仕方ない。」

 

と言われることに

似たものを感じていた。

 

着たいものを着ていたって

セックスに近しい仕事をしていたって

 

性的に侵害されていい権利はない。

そこをラディカルに追及することに

何らかの意義を見出している途中なのだと思う。

 

性の表現について探求すること。

探求して広がってきたのは、

自身が性について知りたいと思っていたこと

性について知る・学ぶ・向き合う機会を得たこと。

 

そして、自分の身体が自分自身のものであるということに気付き始め

自分の身体は自分でコントロールしてもいいということを

実感し始める。

 

過去の自分が、性について無知であり

ネガティブな印象を強く抱いていたから

自分が性被害に遭ったこと自体を強くネガティブに捉えていたのか?

 

決して傷が治ったわけではない。

だけども、自分の中で意味づけを変えて、

 

そうやって乗り越えていくしかない。

(わけではないんだろうけど。)

 

そんなことに気づかされた出会いでした。

この地獄を生きなば生きんとする同志よ。~被暴力体験のある25歳が50年分の人生から伝えたいこと~

25歳ソーシャルワーカー初著書!

被暴力体験のある著者自身がこの日本社会を“地獄”と一刀両断。「だってそうじゃないですか。政府に信頼は持てない、毎日のように流れる虐待死のニュース、過労死、長時間労働、一寸先は貧困と、今日を生きるので精一杯、明日を生きるのに迷う社会なんてはっきり言って地獄ですよ。」それでも彼女は模索し、言葉に訴え続けた。この息苦しい世の中で生きるすべての同志に「生きているだけで十分絶対に大切な存在」だということを。

 

【わたしの生き方】

この地獄の中で、それでもメディアに映るのは華やかで「平和な」人間の姿。笑っていないとやってられない、ということの裏返しなのかもしれない。

しかし、どうしても自分をカテゴリーに収めたくなる。メディアの中に自分がいないと分かれば、自分に引っかかるキーワードをもとに学校の授業を受けた。そこで出会った言説にとことん自分を向き合わせて、この中に自分がいるか?と探した。どうも、しっくりこない。じゃあボランティアでもしてみるか。支援の必要があるとされる人が過ごす現場に足を運んでみようか。いろんな人がいるんだなあ、でもなんか違う。そうやってそれらを繰り返す中でだんだん、自身の親との関係に葛藤があることに気づいてゆく。

毒親”、“アダルトチルドレン”、“機能不全家族”…。

どれも親を悪者にして呪いを解き始めるためには大事な作業であった。

そんな言葉が自分に近しいのかもしれないと感づき始めていた時、児童福祉施設(虐待等の理由で家庭で生活することができない子どもが入所している施設)での実習に臨んだ。私は意気込んでいた。入所児童に必要なケアをしっかりと実践していこう、ハードな現場とは言われるけれど、私は必ず子どもたちの味方でいよう。いきなり試し行動(目の前の大人を信じてもよいか、攻撃し続けても自分にキレない大人かを計測する行動)を向けられた。とにかく教育現場等では「そんなことを言ってはいけません!」というような言葉を初対面・真正面から向けられる。ただ、これは想定範囲内。「で?」という態度で子どものアプローチを凌駕し続ける、そして、どんどんエスカレートしていく。

たった10日間の実習にも関わらず、私は鬱状態になっていた。実習からの帰路、電車の中で独りブツブツと喋るようになっていた。さらに終盤3日間は、施設の先生方に自分の身の上話を号泣しながら聞いてもらうはめになっていた。とんだ実習生である。その際自分は、施設入所している子どもと自分を絶えず比較して、子どもの中に自分を探していた。家がつらい私、家や家族との繋がりを強調し、自慢する子ども。ミラーリングしながら動悸がしていた。そのことを聞いた施設の先生から、「あなたは家でずっといい子にしてたんだな。」と言い当てられた。この期に及んでようやく自分に“虐待”という言葉が理解できた気がした。これが大きな自己覚知の始まりであった。

それからというもの、親を憎み、だけど親だけが問題ではないということにも視点が向くようになり、この社会的問題“虐待”と、自分と向き合うことにした。自分を助ける言論に出会い、自分を回復させる方法はとことん利用した(例:カウンセリングルーム、当事者の集まる講演会など)。

大きな転換点となったのは、自尊感情回復プログラム(SEP:Self-esteem program)、藤木美奈子さんとの出会いである。一度上がった自尊感情はなかなか下がらない。自分が生きる上で考え方の癖を修正し、自分で自分を生きやすくする。これだ!と思った。

たまたま医療ソーシャルワーカーという対人援助職で働き始めていたので、SEP支援者講習初級を受講した。当事者向けプログラムもあったが、支援者講習についてもその時の私には十分有効であった。

様々な自分探しや、自分の回復の途上で、たくさんの出会いに恵まれた。子どもを抱えるシングルマザーで、まさに生きると死ぬのすれすれを経験してきたような、そんな方たちを支援している団体にボランティアとしてかかわっていた。

私が感じたのは、自分のことを大切と思うことがまず何よりも重要であり、そうすれば次に自分が困窮しているとヘルプを出す力になると。私も必死にヘルプを出し続け、多くの人に出会ってきた。そうするうちに、私は生きるということを続ける理由を複数持っていくようになる。

 

ここからは私個人の体験をもとにした主観である。

この世の中には私を死なせないようにする要素がたくさん転がっている。例えそれらが点と点で穴だらけの網であっても、多少どこかには引っかかって、滑り落ちないようになっている。ただし、その網に何とか引っかかって落ちないように生きている状態ははっきり言って地獄だ。でもまたそうしているうちに、あっちこっちに生きるための希望の光が見つかることがある。そうやって、なんとか毎日を紡いでいる。これが現在の私の生き方なのだと思う。

 

 

 

【著者プロフィール】

f:id:mochi2omochi:20180608135735j:plainみゆる(miyuru)大阪府出身。2015年大阪府立大学人間社会学部卒業、社会福祉士・保育士の資格取得をする。専攻はセクシュアリティジェンダー等。医療ソーシャルワーカーとして病院に勤務。現在は休職中。趣味は性の表現を探求すること。

 

 

 

 

 

 

 

 

87日目くらいやと思うんやけど…2018.6.1

今日は晴れやかな気持ちで過ごすことができた。

昨日は発表会が終わって以来ダンスのレッスンに行ったかな

 

少し股関節の痛みがあったので時間を空けましたが、

ボディメイクや表現メインでとても楽しかったです。

 

その後、ちょっと夜更かししましたが

かなり寝ることができました。

 

そして、労働組合さんとお話。

結論としてはかなり実りある面談となりました。

 

職場の内部の人間関係も見知った方で

かなり個別具体的な内容に共感してもらうことができ

 

労働組合名で職場に確認の文書を作成してくれる

とのこと。

 

心強いです。

そして、パートナーは行政書士さんで、

 

この件に関しても

すぐ報告を入れました。

 

文書作成もしてくれ

仕事もして私をエンパワメントしてくれました。

 

本当に色々ありすぎで

昨日は嬉し泣きしちゃいました。

 

何はともあれ就活開始します。

心晴れやかに

 

人間らしく生きられるように。

んん?89日と言われたけど75日目??

給与明細が届いた。

第一口座にいつも8万は入っていたが、

5万になっていた。

 

 

5/13(日)人生で2度目のeroticfreestyle(提唱者:豹凛felineさん)

発表会を終え、

疲れ切ったのと、

体幹備わってないのに

無理に足ばっか上げてたもんで

股関節は瀕死。

でも、世界は広がりました。

友達にも観に来てもらうことができ

本当にありがとう。

 

その後、ぶっ倒れて1週間

ドクターX見てました

Amazon Primeでwww

「いたしません。」

 

が言えたらいいなあ

 

ずっと考えてて

頭痛もして

 

入っていたサロンの予約や

デートの約束、

久々行けそうやった大学時代のサークル

整骨院

 

全部キャンセルして寝てました。

必要な時間やったとは思う。

 

また、ようやく金曜日

股関節瀕死、腰痛、歩いてる感覚伴わない

状態で整骨院に行けて

 

なんとか復調。

翌日街へお出かけし

dazzlinでかわいいサンダル買って

 

旅行に履いていきたいから

練習でそのまま履いて帰った。

 

そしたら翌日えらい頭痛で

まる一日中寝ておった。

 

だがしかし。

土曜日動けていた時に

 

やっぱり進退決めたいから

週明けボスのところに行きたい

 

って思って

計画を練った。

 

朝一番総務部に連絡を入れ

もし復職して再度同事由で休職した場合

 

給与とか、どうなるかとか

聞いてから

 

整骨院こなし

 

ボスんとこへお手伝い兼人生相談

いろんな経験持つママたちに

 

話聞いてもらいながら

ますますやっぱりトラウマで

 

職場に戻ることができひん

って強く感じた。

 

不安やパニックを抱えて元の職場に戻る

という選択肢は私の中で消えた。

 

 

そっから労働相談して

労組とか使って

 

即主治医と話することにした

 

「あたかも来月から復職する前提で今月末に面談を強引にセッティングされた。戻ってくることを強く強く提案された。2人から言われ圧迫感を感じた。」

 

無理だね。それは。とりあえず6/30迄

また一か月伸ばしてもらった。

 

来週の話し合いは蹴る。

これが決められたので

何もかも忘れて明日から日本出る。