みゆるのぶろぐ。

どうも!みゆるです。twitter:myunso_mochi2

実家に帰省するという壮絶な時間を終えて。

年末、吐くほどしんどい

メンタルえぐれる事象が起こり

その中で迎えた年末年始でしたが

今年から帰省のタイミングを1日ずらして

たった1泊だけして帰ってきました。

 

皆様、あけましておめでとうございます。

 

もちろん、1月1日当日は抵抗が出ました

気が重いに違いはないのですが

ぐっと重く沈み込むようなことは

SEPのおかげでなかったように思います。

 

もう母のことも弟のことも

他人、と思えているし

さらっと行ってさらっと帰って来よう

くらいのね、

 

まず歓迎されてないんだぞ

という振る舞いを受けますね。

そして、手土産無しについて

ダブルバインド攻撃。

DV相手にわざわざ会いに行くこと

ないですよね。

その瞬間口をついて出た言葉が

「ほなもう来年は帰ってこんとこか?」

 

私も母も言葉に誠実なので

実直すぎるので

真に受けますよね。笑

 

その他、

思い出の品(小学校頃~大学)を詰めたダンボール箱

強制撤去をほのめかされたり

 

賞状の整理をしていても

「誰に見せるものでもないのにもうええやろ」

などと、人の手柄にまで嫉妬発言

親から直接ふっかけられると

メンタルが痛みますね。

はい、わかってます。

攻撃であることは。

 

また、今回の帰省では改めて

母親を憐れだな・・・とつくづく感じました。

 

それは、母方祖母を見つめる母の眼差しです。

祖母はかなり進行した認知症

 

尿便失禁もあるそうです。

ただ、夫である祖父が高度成長期の働き人だったため

お金は何とかあり、

 

月20万円近く掛かるグループホームで過ごしています。

穏やかで、スタッフの指示には従順で、

多く親戚で見舞いに行ったら

終始笑顔でした。

 

夫(アルコール依存)のいる家には

帰らないというところは首尾一貫していました。

 

穏やかで、笑って、かわいいかわいいと言われ

肌がきれいと言われ、否定もせずに全てを

幸せに受け止めているような祖母がいました。

 

親族と距離を取れているから

ここまで客観的に私はなれるのだと思います。

 

一方母親は、悲壮感漂う憎しみたっぷりの顔で

祖母を見つめ

「これ以上の幸せはないやろう、ほんまに、幸せや幸せや」

 

と、

人の幸せを念押しするというか

恩着せがましい言い方で

他人の幸せを定義していました。

 

その姿に私は、

母のあまりにも幸せな姿に現実の自分を受け止められない娘の顔を見ました。

 

私は親が幸せになろうと不幸になろうと

関係ないと思っています。

 

母親は、自分を差し置いて幸せな暮らしをしやがって

と言わんばかりの悲壮感と文句言いたげな表情をしていました。

 

親が幸せになることが悔しいんでしょうね。

関係ないその人の人生やのに。

 

そこが一番憐れやな、と思い

人の幸せをも恨むこの家族と

もう関わらない方がいいな、と

つくづく思い知りました。

 

そんな年明けでした。

 

早く自分の母親に伝えてあげなあかんな。

それが私が自分の身を守るために必要なことやな、と。

 

親の面倒も弟の面倒も

見る気はない。

 

自分の人生が壊される人とは

もう付き合いたくない。

 

悪い人付き合いを避けるスキルを私は身に着けたからと。

 

逆説的にも今まで

勉強をしていい学校を出て

いい会社に入ることでしか

自立生活できないと

呪いのように洗脳されてきたおかげで

 

高校でも大学でも

いい教育を受けられました。

 

自分に必要な生い立ちの整理、

心理治療を

自分で見つけることができました。

 

ありがとうございました。

と、早く伝えないといけないな。