みゆるのぶろぐ。

どうも!みゆるです。twitter:myunso_mochi2

必要とせざるを得ない時間が、終わっただけ。

4/24

 

ぁあ。

母親の誕生日。

 

それがどうした。

 

去年まではむっとしたり

モヤモヤしたりしていました。

 

今は驚くほどスッキリと

ほぼ何も感じません。

 

私が一方的にモヤモヤと

思い悩む時間が必要ない

 

と割り切れるようになったのでしょう。

 

本当に、認知の修正は偉大ですね。

 

 

中学生の時、

「お母さんみたいなお母さんには絶対にならへん!」

と言い放っていた。

 

言ったでしょう?

私はあなたのようにはならない。

 

私は母親とは

全く違う人生を歩み始めている。

 

いや、もうすでに歩むことができている。

 

よかったぁ。

 

 

新生活スタート!【公務員を辞めて自営業、社会保険のはなし。】

大学の先輩であり友人の方が

市議会議員に立候補してから

驚くほど政治が身近な自分事になった。

 

今日は応援に行きたいなぁ。

 

ほんで4月から退職して自営業手伝いになりまして

公務員の肩書を取っ払ったら

国民健康保険国民年金の加入が💦

全て減免の措置を講じる予定です。(笑)

 

年金は無職である証明(私の場合退職辞令)があれば

全額免除やその他減免の対象になる審査にかけてもらえるそうです。

窓口の人は、「雇用されてないなら全額免除になるんちゃう?」

と言ってくれてて期待大です。

ちなみにこの審査で全額免除になった場合、

受給権は半分だとか。

また、収入が安定してきて保険料を納付したい!という場合で

既定の全額(みんな統一して同じ額)が払えない場合は、

年金事務所に個別で相談、事前に予約を。とのことでした。

 

そして、国民健康保険

6月にならないと住民税が決定しないから

健康保険料の金額が決まらないとのこと。

よって、健康保険料の減額を求める場合は

6月中に退職したことが分かる書面(私の場合は資格喪失書)

を持ってまた役所の窓口に行かなきゃならないんだってー

 

とりあえずどちらも、審査に掛けてみよう!

払えない→無視(未納)よりましだよね!♪

ちょっと空いてましたね・・・

いずれnoteに移行したいと考えているのですが

これじゃあちょっと更新頻度がままなりませんね。💦

 

最近も色々な精神が揺るがされるイベントがありました(;^ω^)

例えば職場の荷物整理とか。

 

メンタルえぐられましたね。

なんか、今日仲間には報告しましたけど

 

こうやって予期せぬ形でいきなり逃げて

ずっと荷物がそのままになっていて

ひっそり人のいない時に荷物整理をして

跡形なく去っていく。

 

この一連の動作で

DVでいきなり逃げた一家も

同じような気持ちを味わったりしてるのかなぁ…

なんて独特な思いをはせていました。

 

そんな感じで。

 

また子どもの学習会をやりたいと意気込みを表明。

 

家を出て安心できる居場所を。

夕方ブログ

夕方は忙しい。

そして明日は職場との話し合いであるというのに持ち物のチェックをしていない。

職場の話し合いというか歯医者なんだけどね。

 

ふと、思うことがある。

女性差別撤廃の動きを見ていて。

 

前置きするが自分はもちろん女性であることがいろいろなことの足かせになる社会をどうか変えていきたいと願う20代の1人である。

 

時々。

女子割礼とか、その地域の文化とか。

その地域ではみんなやっていること、昔から行われていること、その儀式がその社会で生きていくにはやっておいた方が無難なこと

ってあると思うんですね。

 

それって、日本にもあるようなこと「結婚」とかそんなんもそうだとおもうんですね。

 

それに抗うと逆にコミュニティから排除され、生きづらさを抱えていく。

コミュニティから出られない人は社会的な死が最も怖いことの一つだと思うんですね。

 

その中でそのコミュニティの風習に抗う知識が

女子割礼が女性虐待であり、人権侵害である、という主張。

違和感を持っていた人が割礼の実施をやめる動きを起こして、

そういう動きが確かに割礼を避けることに繋がっている。

 

とは思うんですけど、

その後、大丈夫なんですかね。

 

って。

 

こども虐待から児童相談所に拾われて命が助かった子ども。

その後、どうなんですかね。

自分の生きやすいコミュニティーにたどりつけてるんですかね。

 

兵役、行ってない男は世の中でいけてない男

みたいに見られるのかな。

トランスジェンダーの韓国の子も、兵役行ってましたよ。

免除される方式があるはずなのにね。

やっぱり行かないと、1人前の人間扱いされないのかな。

 

世の中の変えた方がいいことは変えた方がいいと思う。

けどそれも一つの、価値判断だよね、、って。

 

死ぬ寸前まで虐待された子どもは死んで悲しんでニュースになって悲しんでもらえて

10年もない命を全うしたと日本中から見つめられる。死んでからね。

 

でも、死にそうな寸前で生かされている子どもが、

今なお過酷な状況で生きていて、

行きやすいコミュニティを築くにはお金や利権が乏しいという状況。

 

おかしいよね。

 

助けられるはずの命は

可能性を無限にはらんだ人材なのにね。

 

子どもが殺されていく国から。

みゆる、再出発中。

仕事の手伝いも板についてきて

無休現物支給でのお手伝いから

4月からはいよいよ月給の発生する

従業員へ成り上がる予定です。

社会福祉とは全然違うお仕事をします。

1年休職した私の結論です。

 

権利保障の観点から物事を判断できるワーカーでありたいとは

これからもずっと一つの信念です。

 

退職に向けた職場との話し合いの日時調整もしたし

あとは具体的に逃げてきた職場に放置してる荷物を

いつどこまでどうやって持って帰ろうかな~という点。

 

非常にストレスフル。

跡を濁さず立ち去りたかっったが

もうすっかりぶっ壊しまくって出ていく。

 

申し訳ございませんがさようなら。

もうあなたたちの奴隷にはなりません。

 

#休職 #転職 #退職

弟に関するおぞましい話。

弟は、自らの命よりも従属を重んじるバカげた人間です。

私が中学生、弟が小学生の時に、二人で自転車に乗って行ける範囲のお出かけをしていました。

その時、信号の加減で私だけ4車線の道路を横断し、弟が対岸に取り残されたことがありました。

しばらく気付かず道を走っていて、弟が車が走る4車線を何とか一生懸命渡ろうとしている姿にぱっと気づきました。

 

私は、泣き叫びながら弟に、「来んな!危ない!やめろ!!」と連呼していましたが、弟には聞こえるはずもありません。

 

姉の自転車に追いつかなきゃ、従わなきゃ。

それが弟の認知だったのでしょうか。

実際に聞いていないからはかり知ることもできませんが。

 

その時とっさに私も、「母親の所有物である弟の命を危険に晒している、お母さんごめんなさい。」と同時に思っていたというのがこの話のみそ。

 

私も同じことしてたかもね。

 

なんかもし弟がそのことを覚えていたとして、話をしたとしたら、、、

「え?別に?それで死んだらそれまでやん。」

 

とか本気で言いそうです。

大バカ者です。

 

上の言う事にただ従っただけ。

それで死ぬなら仕方ない?

 

ほんまこういう若者が日本にあふれてたとしたら

現政権が存続するわけやでぇ。

 

必死な人が決めたことなんやったら、いいんちゃう?

それが民意やろ?

 

とか言い出しそうですね。

もう救いようのない本物のバカ。

 

かわいそうな母親の従属物。

 

私には介入の余地がありません。

家を出て、母親と縁切りする姿を見せることしか

弟にしてやれることはないと

 

何となく悟ってからは

 

いろいろと思います。

 

長女、退職届。

退職願とは、処遇の改善次第で雇用契約を継続してもいい場合に出すもので、一方退職届とは、何があっても退職するという意思表示であり、雇用主は決められた日数以内に措置を講じる必要がある書類のようです。自分が退職をするにあたって知りました。

私が言葉を理解できるような年齢にあるにも関わらず、離婚についての説明をしてはくれませんでしたね。ただただお父さんが大極悪人であるというように吹き込み続けましたね。理解ができず戸惑って、お母さんが何においても正しいのだと妄信していました。このことも何もかも「場を察しろ」という意味なのだと、理由や詳細を聞いてはいけないことなのだと、そう当時の自分は解釈していました。その時から、その以前から、気持ちや意図は通い合うことなく、「絶対にお母さんに迷惑をかけてはいけない。」「お母さんの負担を減らしたい。」という一心で生きてきたと思います。中学生の時、自分用に買ってもらったボストンバッグをきれいにほとんど使わず弟に使えるように残したのも、陸上部のウィンドブレーカーを上下セットの上だけ買ったのも、自分なりにお母さんに貢献したかったからです。たくさん悩み葛藤した中学時代も、特養勤めで疲れ果ててベッドで寝るお母さんの姿を見て、何一つ心配をかけてはいけない、これ以上お母さんの迷惑になってはいけないと思い、何も気持ちを伝えませんでした。手のかからない子どもで、これでよかったんだよね?

受験勉強、いい学校に行き、いいところに就職しないと生きていけないといつも心臓に癒着したお母さんから説き伏せられ続け、その甲斐あって私は大学に進学しました。いい高校に行き、いい大学に行けたからこそ、自分に必要なセラピーや心理療法を自分で見つけ、自分を助けてくれる人に出会い、辿り着くことができました。ありがとうございました。大学では、130回以上も無料のカウンセリングに通っていました。今まで肩に背負っていた荷物を一つひとつ下していく作業でした。

わたしの脳みそに、心臓に乗り移って物事を考え、決めていた母と離れるために、物理的に離れ、心理治療に向き合いました。就職してからも多額のお金を自ら癒えるために投資しました。正直、お母さんと一緒にいると苦しいです。自分からなじられ貶められ皮肉られ軽蔑されに行くために実家に帰るのももうしんどいです。自分にとって利益にならないことはもうやめようと決めています。だから、正月に実家に帰ることももうありません。お母さん、自分の人生を生きて幸せになってね。娘はもう退職します。(要加筆)